私が2回離婚したワケを話そう
- Soulcom はらゆうこ
- 2020年7月25日
- 読了時間: 4分
こんにちは、セラピストゆうこです。
Facebookを始めて約2年。
最初はいろいろと書いていたけれど、読み返すと恥ずかしい(笑)
同業系の人の記事もたまに読むけど、「あ、このゾーン、通ってきたな~」なんて思ったりもする。
何年か後には、今の自分のことを「あらやだこんなこと言って、恥ずかしい」って思うんだろうなー^^;
さてさて。
最初は自分がバツ2ってこととかもじゃんじゃん書いていたけど、FBのお友達も一巡し、コメントをくれる人も半分以上変わりました。
で、たまに「バツ2ネタ」を書くと驚かれるので、「あー、メンバーが入れ替わったんだな~」と気づきます。
そうです、私がバツ2女です!
最初の結婚は25歳の時。
と言っても、25歳のうちに結婚しようって思ったので、入籍がお誕生日前日。
実質26歳ですね。
30歳で離婚しました。
父が「結婚しないなら連れ戻す」と言っていたので慌てて結婚した感がございます。
もちろん、その人のことは好きでした。
優しくて、怒ったことが一度もないくらい、温厚。
私が怒っているといつも困った顔をして黙っています。
離婚したときは、みんなに「あんないい人のどこに文句があるのよ」と言われましたし、父は数日寝込みました。
ワーカホリックで、徹夜ばっかりで、よく着替えを届けたりしました。
仕事が出来る人だから仕事が多いのかなと思ったけど、そうではなくて、出来ないことでも引き受けて断れないからだとわかりました。
私が大病した時も、仕事を優先しました。
ものすごい大義のある仕事かと言えば、いいえ、普通のサラリーマンです。
どう考えても私の一大事をスルーするほどの仕事ではないです。
ある日、ストーカーに襲われかけて、震えながら電話をしたけど帰ってきてくれませんでした。
翌日もストーカーが立っているのを見て家に引き返し、「引っ越してほしい」とお願いしたら、「たかがナンパで引っ越せない」と言われ、私は家出しました。
そのまま離婚。
2度目の結婚は33歳の時。
2年ほど付き合って、オメデタ婚です。
付き合っている時から、思考や行動パターンが自分とはかけ離れていて、最初はそれが刺激的だったんだけど、そのうちお互いに受け入れがたいことが増えて、とにかくよくケンカしました。
最後は息子の不登校に対する対処でうんざりするような出来事が増えて、息子の後押しもあり、別居3年後に正式離婚しました。
育児や家事の分担が全くなく、家事がおろそかになると指摘され、フルタイムで働けと言われ、そりゃもうヘトヘト・・・・。
自分の時間が一切なくて、彼は自由に海外・国内問わず旅行に行き、月2回はゴルフ、家族旅行は彼の行きたいところ、今思い出してもしんどい20年間でした。
でも私の結婚生活には、自分の幼少期の頃から続く心の在り方の不具合が陰を落としていることも私にはわかっていました。
だから、結婚がセラピストになるための布石であることは間違いがないです。
自分はどこか変なのかな、人としてどこか欠落しているのかな、と思い悩んだ日々。
ヒプノセラピーで人生が変わりました。
カウンセリングだけだとどうしても「正解」を探してしまい、心が曇って見えなくなるのですが、ヒプノセラピーは深いリラックスと、意識のフタを開く魔法がありました。
ゆっくりゆっくりとあらゆる方向から自分と向き合って、人間関係に変化が起き、自分の評価が変わり、私自身、変容しました。
トランスパーソナルヒプノセラピーは、まさに、自己変容を促すセラピーです。
2回も離婚したと言えば、「どこか変なかしら?」と思われるかもしれませんが、私は本当に素敵な体験をしたと思っています。
あらゆる体験が私たちを遠くに連れて行ってくれるんです。
意味を見いだせずに流されて生きるより、意味を見いだして流れに身を委ねるほうが、ずっとずっとラクだと知りました。
離婚せよ、という話ではなく、誰にでも癒やしの道にたどり着く体験があるよ、ということをお伝えしたいです。
あんなに離婚を恥じていた母が、「あなたがひとりで生きるのは見ていて辛いから、若くて素敵な恋人を見つけてね」と言っています。
私の変容は、頑なで保守的な母をも変えました。
「同年代じゃないと、自分の老いを実感しちゃうからイヤよ」と返事をしたら、「あなたなら大丈夫よ。一回り下でもね!」ですって。
そんなに革新的な人だったっけ?笑
さあ、あなたも、変容の道、歩きませんか?
いつもありがとうございます。
愛と感謝を込めて☆
Comments